【もう、日本では生きてゆけれんのじゃ!】

料理人として、 包丁一本で唐突の“海外身投げ”・・・

奮闘するも、まさかの脳内出血。止むを得ず帰国・・・

引きこもり病人としての余生かと思われたが、社会復帰を果たし、読者様の魂に「刺さる」ライティング文書術を身に付けた、アフィリエイト・ブロガーの波瀾万丈ストーリー。

バイオデータ

■名前:てつなり
■現住所:広島県の酒どころ(目下、都市化中)
■出身地:岡山県中部(限界集落になりそう…)
■性格:今は落ち着いて居ると言われます。
■趣味:食べ歩き、買物、旅行、YouTube鑑賞、外国人との交流。
■婚姻:結婚した事も恋愛歴も皆無です。
■職歴:不動産営業マン、国内外で和食調理師。
■居住歴:岡山県、香川県、京阪神、神奈川県、インドネシア(名誉故郷)、シンガポール、フィリピン。
■家族:小輩の他には現存しません。
■好きな物:文章づくり、漢字に囲まれる事、ご飯と水と塩、アジア(特に華人文化圏)、アメリカン気質、モダンジャズ。
■苦手な物:理数系の学科、べったりし過ぎる人間関係。
■年齢:アラシックスです。
■職業:教育系事務。
■出身学校:高梁高校、香川大学(留年経験)、国立吉備リハ。
■資格:英検準1級、中国語2級、インドネシア語、簿記、調理師、普通車。
■その他:ブルース・リーの大ファンです(シアトルにお墓参り済み)、第1級身障者、発達障害者、人工透析患者。
■目標:適度に孤独を満喫する余生。
■メインブログ:『アフィリエイトの始め方 | 初心者が文章で稼ぐライティング戦略ブログ』
 

ライフヒストリ

幼少期からの【孤立】

世辞にも夫婦仲が良い、とは言えなかった、高齢の両親。

中学生時分からウイスキーを愛飲し、女友達と布団に潜って居た、筆者とは、親子ほども年の離れた、左翼でした実兄。

筆者はその様な、貧しい家庭に生育したから、でしょうか。学童の頃から筆者は、友だちが出来無い事で有名でした。

とにかく、周囲の子ども達と馴染(なじ)めない事、馴染めない事。

明らかに、【苛(いじ)められっ児(こ)】でした。

近所からも、決まってこう口を叩かれたものです。

【ホンマに変わった子!】

【何ァにが、アレゃあ、甘ったれとるだけじゃ!】

(”甘えてる”が片付ければ、話は簡単ですからね)

小学校の担任教員には、通信簿にこう書かれたのです。

【コンプレックスに塗(まみ)れて居る。欲求不満では?】

— それを読んだ母親は、相談に乗る訳でも無く、

【体裁が悪(わり)ぃ!】

とブチギレ、怒鳴り散らすだけなのでした。

ワシにゃあワシの武器

そんな筆者でしたが、生まれ付きに与えられた物が有ります。

学校でもアピールできた唯一の武器、それは、

「国語力」

です。

小・中学校時代には「作文ハカセ」と呼ばれ、コンクールでも常に上位入賞して居ました。

高校では、現代国語に加え、古文・漢文の「古典」の授業も有りましたが、全て制覇。

模試の成績でも、出身県内で第2位になった記録が残ります。

筆者が生まれて初めて、人様に高く評価された事、高校の国語担任教員に依って褒められた事でした。

その師いわく、

「国語力はのぅ、全ての学科に通じるけんなぁ」

「お前(おめえ)も将来、国語教員を目指せぇや!」

— そんなお言葉に酔い痴(し)れたまま、半ば惰性で、筆者は進学してしまいました。

人生最初の暗転

酒を覚えて、ジャズ聴いて。

遊んで、一年留年して卒業。

飛び出さされた社会人生活は… 全く酔い痴れられる物では無かったのです。

【うわ。こんなん、聞いて無(ね)ぇし!】!(絶叫)」

実社会とは、得意科目、とかが通用しないにも程が有りました。

そしてその後、転々とのパターンを繰り返した職歴では、ほぼ全ての場所で、ほぼ同様の感情を味わったのです。

即、

「自分は頑張って居るつもり。でも、どうしても居づらくなる」

誰にも理解して貰え無い。

異常者扱いすら、茶飯事。

でも、自分がそうあしらわれても仕方無い… その事にも、半分、納得が行き、苦笑します。

そのうち、

「ワシゃあ、若しかして、勤め仕事にゃ向かんのかも?」

その様に、深刻に思い詰めてしまいました。

庖丁人という選択肢

さて、もともと大食漢で食いしん坊でした筆者。

父親が従事して居りました、「板前(亡父は、寿司職人でした)」という稼業に、早くから興味を抱かされました。

どうやら、自分には勤まりそうに無いサラリーマン…

早ばやと見切りを付け、20代半ばの、オッサン一歩手前の処で、料理人修業の門を叩いたのです。

若さ故の短絡思考でしたが、何かこのままでは、人生が勿体無い様に、当時は思えました。

で、実態はどうだったか、と言いますと…

【泣く子も黙る】

【修羅(しゅら)】

という形容がピッタリでした。

知人医師の紹介で入門したのですが、案の定、その過酷さたるや、まさに頓でも無かった次元…

筆者の作った賄(まかな)い食を箸も付けないまま先輩が、ゴミ箱へ投棄…

それ等の嫌がらせを横目で見つつ、何とかかわしたり。

規定の2年間は、調理師免許受検資格のために我慢しました。

調理師免許さえ貰えればこの先、何とかなりそうな…

出・日本

やがてそのうち、わが身はご縁が有って関東へ。

そこで何故か、

「キミィ、海外で和食の仕事をせんかね?」

というお話が舞い込みました。

— これはもしかしてチャンス?

このまま祖国に居ても、出る芽はまあ、知れたもの。

このボタモチ、喰らい付かない手は無さそうでした。

実はこれの少し前に、初の海外仕事を、アメリカ合衆国でさせて貰って居たのです。

短期間限定のものではありましたが、

「うわ… こんな世界が在るんや!」

経験年数の替わりに、閉塞感という、筆者の最も苦とする代償が付く日本。

外国仕事。凄く大変そうなのは実感しました。

しかし、何もかも新鮮な驚きの中でこなし行く、自国・日本をご披露する職務。

「ぜっ是非、自分に行かせてください!」

渡航先はどこかいな? オーストラリア?それとも、シンガポールとか、嬉しいな…

インドネシアに赴任して貰おうかな」

「……」

インドネシア。

ちょっと予想もしなかった国ですが、これもきっと天啓。

関東での研修を経て、春のどけき日の成田空港発。

「スラマッ・シア~ン。アパ・カバール?」
(こんにちは〜。ご機嫌いかが?)

思った以上の親日国。激安(当時)な物価。

筆者には、ローカルフードも口に合う物でした。

これなら永住しても構わなそう、いずれここで身も固めよう…

そんなインドネシアでした。

奈落の底

しかし、足掛け十数年めにして、突然の転機でした。

まさかの脳内出血

実際の臨死体験という、貴重な出来事でしたが、過労と不摂生とが原因の、文字通り危機一髪。

暫くの静養の後、問答無用の看護付き・強制帰国です。

右半身をやられ(麻痺)、不具者人生が始まりました。

「ワシ、助かった… でも、廃人かな…」

母親が筆者用にと、ガラケーを買ってくれまして。

お恥ずかしいお話しではありますが、そのガラケーが、筆者には初めての、

「インターネット生活体験」

なのでした。

そんな中でたまたま、Web上で見つけた“不労所得”。

そのキーワード。それがやがて、メチャ気になり始めます。

もう無職無収入(当時)の身、庖丁も握れません。

そんな中で示された、次なる路(みち)だったのでしょう。

インターネットのお導き

ある日、いつも通りにガラケーいじりをして居りますと、

〔インターネット 稼ぐ〕

という複合キーワードが、眼に飛び込んで参りました。

「あ。もしかして、これ、お告げかも?」

強い直感で、そう思いました。

それへのインパクトが、その後の、筆者の軌道をセットしたのでしょう。

やがて数年後。

生涯、引きこもり病人… かも知れなかった筆者は、教育関係の仕事に再就職し、社会復帰しました。

不自由な身で、特に散財する事も有りませんし、手当てを貯め、損傷した脳、身体の替わりにと、

〔PC〕

を先ず購入し、慣れるためにもう、触りまくりました。

インターネットで稼ぐ = インターネットビジネス、とは容易に連想が付きました。

また、それを学ぶには、何らかの教材が必要な事も十分、理解出来ます。

こういう場合、それ迄の経験から、書籍や動画を活用する事、よりも、

「人に師事して教わる」

のが恐らく最良、と体得して居りました。

間も無く、Webを介しまして、インターネットビジネスでの、初代メンターに申込みました。

「メンター」とは、「師匠、指導者」の意味です。

ところが最初のその人物は、インターネットビジネスには絶対、不可欠であろうと、素人にでも簡単に判る、

「文章力」

には、まるで乏しい、詐欺師まがいの若僧でした。

【結局、ワシにゃあ、幸運の女神は微笑(ほほえ)まんのか…】

女神は微笑んだか

が、筆者にしては珍しく早期に、凹(へこ)みから気を取り直せました。

そして新たに、インターネット掲載の記事で見て、次のメンターの方に、鋭くフォーカスしたのです。

「価値が有り、また資産となる良質な『ブログ』」

「即ち『パワーブログ』を開設、構築、運営せよ」

それ迄の暗がりを開闢(かいびゃく)するが如し…

新メンターの標榜は筆者に、いきなりにも近い光明を、燦々(さんさん)と注いだのです。

・金儲けは大事であるが二の次
・読者様に先ず多大なる価値を!!

という金言の訓辞に、激しく心動かされました。

「ぼっ僕を是非、弟子にしてくださいませんか!?」

「いいともォ!」

↑(1974年の日本映画『ルパン三世 念力珍作戦』でのルパンこと俳優、目黒 祐樹(1947~)氏風に)

— ちょうどその頃と時を同じくしまして、筆者は、どうやら一種の発達障害らしい、と診断されました。

そう言えばそれ迄にも、人に言われた事を、即座には理解が出来なかったりしてましたっけ。

(料理修業で、よく叱られた原因の1つでした)

一見、こんがらがった人の運命とは、時が来れば、この様に次々と、その謎が解明してゆくのでしょうね。

この道を行けば分かる… か?

発達障害者との診断から時を待たず、こうしまして筆者は、

『ブログの王道』

に、開眼する運びとなったのです。

己れの為、いや先ず、世の為、人の為に、わが文才で貢献せん!

そう決意しました。

新しき師の鞭撻(べんたつ)は、それなり… でしたが、雨の日も、風の日も、筆者はそれを甘受し続けました。

「こんなのでは、ダメです」

「これでもまだ、ダメです」

ああ… 柔道部、空手部時分の世界に、よう似ちょらあよ。

しかし不思議と、反抗心は湧き上がりません。

何故かと考えますに、これが本当に自身の、目指すべき道に間違い無い、からでしょう。

そうこう致して居りますうちに、筆者の文章術は、師を頷(うなず)かせる力が、蓄えられた様です。

「ウン、良くなりましたよ」

かくかくしかじかのお蔭様で、筆者はこの道を、今もこうしまして、歩ませて頂いて居るのです。

ブログ執筆のトリガー(切っ掛け)

子どもは生まれてくる家と、そして親とを選べません。

筆者は、と申しますと…

築年数不詳のボロ実家、高齢で不仲だった両親、まさに数重苦、負のスパイラル渦中に当たりました。

しかも筆者が小児当時、既に高校生だった兄は、酒乱でもありました。

深酔いし錯乱、弟の顔面にサッカーボールキックを浴びせたりした兄。

さしものその酒豪も、遂に肝臓がイカれ、近年、召されました。

死の直前に兄は、

【お前(おめえ)は不幸じゃった生い立ちを、何とか自己処理せえ】

と、いみじくも言ってくれました。

逝ってくれて、筆者も思わず脱力。

家族・親族じゅうで、当時、最も年少でした筆者は、田舎社会では—

年長者たちの勝手で、無責任な、教育的指導という美名のもと、個人攻撃のマト。

更に、筆者が実は発達障害だった事も、火に油だったでしょう。

社会人になってからも、職場に定着が出来ず、散々。

以前は、発達障害という言葉すら無く、該当者たちは切なくも、なるがままでした。

果ては、脳内出血で身体障害者になり、おまけに、透析患者に迄なってりゃあ、世話はございません…

何の因果か、こう言う星の下って、在るんですよ。

筆者の様に。

昔は、メディアの主な物はテレビとか、紙媒体の新聞・雑誌くらいでした。

ですが現在は、インターネットの時代です。

筆者みたいな境遇の方がたは結構、容易(たやす)く、はまるメディアが見付かるでしょう。

それなりに探せば。

そんな筆者でも、思えば、救いがございました。

一つ目は、母の存在。

筆者の子ども時分でこそ、鬼ババアだった母。

然し母は、バクチで不在がちだった父とは違い、少しでもお金を稼ぐために…

家で黙々と針仕事、それでは稼げ無くなるや、老骨の身でパートへ。

自身の、そんな姿を見せた母の、背中での教育でした。

二番目は、筆者生得の言語能力。

とりわけ作文の力です。

↑(これは、発達障害と陰陽的に“併存”し得る特性か、と考えられます)

これ等の事ごとから、次の仮説を成り立たせられます。

「ハンディキャップ。然しまるで、その反作用の様に、特技という部分が隣在し得る。

そしてそれを、十分に伸ばし、役立てる、後天的な思念工夫に依って、全般が好転する」

— 筆者はこの、自己能力の発揮点として、

「ブログ」

という媒体を識り、そして選択を決意しました。

更にこの道の常套として、メンター(師匠)に付いたのです。

最初こそ、【まやかしのメンター】に苦杯も味わわされました。

が、やがて、本物と仰げる人物と出遭え、堅く師事を誓いました。

文字通り、叱咤(しった)という嵐の日々。

然し遂に、その末の、

〔免許皆伝〕

を允(ゆる)されました。

嬉しい♪ これで自身の主張を形に出来る!

磨き抜いた、腕よりの文術で、それが出来る…!

ですが、ここで将(はた)。

「先ず世の為、そして人の為ありき」

が大儀なのでした。

この技量をただ単に、独占して居りますのは、【宝の持ち腐れ】です。

それでは、甚だ意味がございません。

特技は、世に問い、人様のお役に充分立ててこそ、の物です。

そこで! こちらの、筆者の文章をお読みくださる、あなた。

そうです、読者様のあなたの事です。

社会の不条理と、過酷さとに恐らくは、人一倍、苦悩されたに違い無いあなた。

そう言うあなたにこそ、まさにお読み頂きたく、このブログを、渾身の思いで綴って居ります。

運命(さだめ)が恨めしかったり…

また、他人を羨やんだりする事…

どなたにでも絶対、在るかと存じます。

そこで自暴自棄になり、人生を投げて… しまうのでしょうか?

或いは、一番してはならない事— 他人様やご自身を、傷め付け、疵(きず)付ける行為…

に、走られますか?

筆者の、幼少〜青年期に味わいました様な苦渋は、人生の、なるべく早い段階で断ち切るに限ります。

筆者のブログは、宗教ではございません。

が、筆者のブログから何か得るものが、少しだけでも見出せられましたならば…

そこからあなたの、開花に繋がられますならば…

筆者に取りまして、こんなに歓(よろこ)ばしい事はございません。

その歓びを、読者様がたご自分自身が得られる為にも—

あなたに、このブログで価値を提供してゆき続けます。

本ブログの独自性

ここ迄、筆者の経緯をご覧頂きまして、読者様のあなたも、お判りの事でしょう。

両親高齢、生家困窮、実兄酒乱。

しかも苛められっ児で、暗い肥満児、女の子たちには嘲(わら)われましたし…

友達も、ロクに出来なかったのです。

「決して、平坦な道のりでは無かった…」

という表現をよく言いますけど、筆者はそれどころか、

【針のムシロ】

【イバラの道】

を地で征(い)って居った気が致します。

↑(これも実は全て、「自分の所為(せい)」なのですが)

人間は、薄幸が徹底的に続いてしまいますと、攻撃的になって、ナイフの様に尖(とが)ります。

或いはもう【セルフ・ネグレクト】— 抜け殻化してしまうか…

どちらにしましても、事態がますます悪化しかねません。

過去の筆者にも勿論、この危険はかなり迫って居ました。

半グレてみたり、又、放浪・徘徊癖に浸ってみたり…

然し、幸いだったのか、筆者がもう何処までも、堕(お)ちきる事は、天が望まれなかったのでしょうか。

その因子(ファクター)の1つが、母のDNAを受け継いだ事でしょう。

身に降り掛かる火の粉を払い、苦労を乗り切った、母。

そして第2は—

もともと、その萌芽(ほうが)は筆者に潜んで居り、満身創痍の状態まで来て、やっと開いた模様です。

つまり、

「文章術のプロ的な能力」

を指します。

だからと申しまして筆者は、

【諦めなければ何とかなるさァ!】

とか月並みな事を、表層的で終わらせたくございません。

少なくとも筆者の場合、人生を迷いに迷った理由は、ただ一つ、

【無知】

だったからでした。

人は無知に因って愚かな行為に走りもし、無闇(むやみ)に怒り、そして貪(むさぼ)ります。

筆者はここで、声を大に主張したいのです。

「幾ら自分が、良きメンター(師匠)に恵まれ、また少しばかり、文章に覚えが有るからとて…

己れだけが、満足に浸って居てはならない!」

「価値ある情報には、原石の如く埋もれて居る物もある。

そこから厳選、そして研磨を経て、お読み頂く事こそ天命!」

— 何とかその無知を脱され、新たな気付きを次々と得させて頂きました、本ブログ筆者。

同じ様なご経験を、是非あなたにもして頂きたい!

—その願いと共にこの、筆者のブログは在ります。

ブログ是(ぜ)

貨幣経済であり、資本主義経済でもある—

そんな、わが国の経済(市場活動)社会は、嫌が応にも、

「お金中心に廻る」

という、毅然(きぜん)たるルールの上に成り立ちます。

↑少なくとも従来の一般論では、それが是(ぜ)とされました。

「是」、いえ、「ぜに・ゼニ・銭〜!」なのが、今も現実です。

川内 康範(1920~2008)氏原作の名作コミック、『コンドールマン』(1975)、のTV版リアルタイム視聴者。

そんな世代であります筆者は、当作品中の怪人・ゼニクレージーの、いかにもな守銭奴タッチが…

成長過程で印象深く、脳裏に焼き付いて居りまして。

【お金のことばっかし考えとるのぁ、おえん(良く無い)!】

と、自身に思い込ませてしまいました。

その後、学生生活の一旦終了、即ち二十代ほぼ半ば迄、武士は喰わねど… っぽく、

【痩せ我慢的な清貧】

を気取って居ました。

ところが、学校を卒業してみるや、うおっぷ…

一転して、現実に頭を叩かれたのです。

その当時の筆者はまだ、衣服などは二の次で、一番は喰い気(け)で、大飯・大酒の盛りでした。

ですが、何しろ新卒の手当でしたから、クレジットカードのキャッシングローンを…

今から憶い出しますと、怖いももの無しのフル活用でした。

当然乍ら毎月の如く、請求→返済→また請求、またそれの返済… という、滑稽な自転車操業。

それ迄の、不自然な耐乏が原因だったのは、明らかです。

然し、幾ら裕福では無い生い立ちだった、とは申せ、その反動か、間も無く、今度は筆者が物欲の怪人に変身…

そんな筆者がそのまま、物価の超・安かった(当時)東南アジアに赴任しましたから、そりゃあもう狂います。

今度はクレジットカードを使う必要も無く、ドル建ての現地給与を、湯水のごとく使い…

又しても筆者は、暴飲暴食に荒れ狂いました。

で、気が付いた時には、生死の境だった訳です。

当時、筆者が勤めて居りましたローカル企業の保険では、到底、賄(まかな)え無いくらい…

その医療費は高額でした。

夢に浮かされて来たよその国で、見たのは悪夢という…

庖丁稼業で貯めた、知れた額など、一瞬で吹っ飛びました。

―― 有難くも、無事、帰国させて貰えたわが身。

それ以降、色いろと考えさせられたものです。

「結局、当たったんは、ヤマで無くて、バチか…」

「取り敢えず、ムチャ喰いは、良く無さそうやな…」

「さて。これから何ゅうして、生きて行きゃあ?……」

途方に暮れかけた筆者。

ふと、思い出しましたのは、倒れます前に、海外滞在時分から入信して居た、仏教団体の事です。

その途端、矢も盾も堪らず、相談のつもりで電話しました。

仏教団体の人 :

『…そうですか。

今までは、我欲のみを前に出して来られて、やっとそれに、ストップが掛かりましたね。

先ずは、お身体を治すのが第一。次に、生活の術(すべ)を見付けましょう。

そしてその後は、世の為、人の為に生きてください』

筆者 :

「世の為… って、それでどうやって、食べて、生きてゆけば良いのですか?」

『やってみましょう。きっと上手くゆく筈です』

「はあ…」

— その後、再就職先という問題は、クリアしました。

然しまだ、

「身障者のワシに一体、何が出来ようか?」

という自問自答は依然、消えません。

ご縁あって、ブログ道のメンター(師匠)との、掛け替えの無い出遭いが有る迄は、ですが!

世の為、人の為。

それは何も、品物やお金に依る貢献、だけではございません。

ひもじき人を憐(あわ)れんで魚を与える、のでは無く、魚の釣り方をこそ与えよ—

そんな故事が在りますね。

『価値ある情報』

それも立派に、読者様の為になる事を識りました。

そして、その情けは、人の為ならず…

何時(いつ)しか筆者にも還って来るものでして、再び、情報の価値は好循環する事になります。

自身に文章の才覚が授けられて居る、ならば、それを以(も)って拡散を成さん。

本ブログの、読者様で居らっしゃる、あなた。

何もかも信じられなくなった体験をお持ちの、あなたにも、価値を感じ取り頂きたいのです。

そしてまた、繋がった他の方がたにも、それをお分けして差し上げてください。

他人に価値をお与えする事。

それは、廻り廻って、わが身の価値にもなる… 

筆者はこの一点に、強固な信念を置くのです!

筆者の目指す世界

基礎的な躾(しつけ)と、基礎的な学修。

齧(かじ)った程度の武術に、実は華道も。

調理稼業、そして、生きた事そのもの。

これ等が、筆者であります、

「てつなり」

の、人生経験で関わった事ごとです。

それぞれの関係性は、薄い様にも思えますが、実は全て、究極的に目指す境涯は共通します。

即ち、

『自己の解放、及び精神の自由と安定』

です。

— 簡素に言い表わしますと、詰まりは、

「のびのび、ゆったりとした生活」

と申しますのが最終形、でしょうか。

↑しかもそれを、大自然の中での田舎暮らし… とかで無くとも、世塵(せじん)に在っても実現して見せる。

其処(そこ)に、妙味と、人生の醍醐味とが見えて参ります。

本ブログの設立・開始を好機と捉えまして、筆者は、ブログ記事の公開を通じまして先ず、

『お読み頂く価値の在る情報』

を、読者様がたに触れさせて差し上げたいのです。

そしてその行為は、筆者自身の価値をも、更に高い境涯へと、導いてくれるでしょう。

更に、その「共感」はやがて、

『集合的無意識(※)』

に成長する事も、期待されます。

(※ kollektives Unbewusstes(独))

collective unconscious(英)

深層心理学者として高名でした、カール・G・ユング(1875~1961、スイス)氏に依って提唱された分析的概念です)

凡夫である私たちは得てして、独り表情を、つい虚空に向けて、浮かべてしまいがちです。

そんな私たちが皆、揃って有難さに満ち溢(あふ)れて、

〔『生かされて』ゆく〕

— それが不肖、筆者のゴールです。

いよいよ始まります、「てつなり」の世界。

どうぞ末永いお付き合いを、宜しくお願い申しあげます。