ご自身でもブログご開設をお考えの、あなた。

 

数あるブログの中から、
筆者のブログとのご縁が有りました—

 

心より感謝を申しあげます。

 

そんな大切な、ブログの読者様で居られます、

あなたに、

 

「果たして打ち明けて良いものやら、どうやら…」

 

正直、筆者は少なからず、

迷った事がございました。

 

“迷った事”とは、今回の記事の主題です。

 

最終的に“迷った事”を筆者は、

公開する決意をし、今回、文章化、

こうしてブログにて告白させて頂きます。

 

実は筆者、

 

「発達障害者」

 

と認定されて居ります。

 

神経内科医に依る正規なものでして、

それはつい近年に、診断されました。

 

「マジか…。ワシは一体、幾つの障害を負うたらええんや?」

 

そうです。筆者に発達障害が告げられましたのは、

既に身体のほうの重度障害者となって以降で、

 

「中高年」

 

の年齢に、自身が入ってからでした。

 

“全てのヒト(生物としての人間)は、

多少の差はあれ、発達障害を持つ”

 

との仮説も見聞されます、発達障害。

 

その一方で、

 

「発達障害者のブログ… 正直、大丈夫なの?」

 

との、あなたのご心配もお察し申しあげます。

 

筆者が罹って居りますタイプの発達障害は、

 

“或る特質”

 

を持つのですが、そのお蔭で、手前味噌ながら、

“高尚な”ブログを書かせて頂けて居ります。

 

あなたが、筆者と同じく発達障害者でも、又、

或いは健常者でも、どちらにされましても、

後学にならない事は書いて居ない、と自負します。

 

発達障害者の筆者が、こうして、

自身のブログを執筆し、世に問う迄の、

始点やら経緯を、学説的な事も交えて纏めました。

 

筆者の渾身のブログ記事、発達障害論、

どうぞ最後まで、じっくりとお読みください!

 

詳しく識る「発達障害」 – 解れば解るほど”怖くない”

 

本ブログ筆者もかつて、自らが発達障害者だと言う、

その事を知る何十年も以前、まだ学童の頃からでした。

 

発達障害が起因、と今では強く考えられます、

かつての筆者の言動は逐一(※1)、

周囲の人びとから、

 

「蔑(さげす)み」

「社会病質的(ソシオパス)」

 

に視られる様な感覚も、しょっちゅうでした。

 

(※1・・・ 発達障害者の特徴の一つに、

“過敏な受止め“が言われますが、恐らく、

「逐一」も、そう感じただけかも知れません。

 

なお同様に、発達障害者には、

真逆の“鈍麻(どんま)”なタイプも、

対照するかの様に存在するとの事)

 

「発達障害」の言葉が出る様になって、まだ十数年、

当時は、そんな概念など想いも着かない物でした。

 

歴史に「若しも」は禁句、とはされますが、

仮に筆者が、人生のもっと早い時期に、

自らの発達障害を知って居れたなら—

 

筆者の人生経路も、相当、違った事でしょう。

 

これより、医学博士や発達障害研究家、その他、

専門の方がたに依る内容を絡め、整理致しますと—

 

“発達障害は、生まれ持った「脳機能の発達の違い」

が関係する「障害(disability)」と、定義されるもの。

 

広汎性発達障害(こうはんせいはったつしょうがい)、

学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、

アスペルガー症候群(※2)等が知られ、

複数の症状を重ね持つ場合も在る。

 

発達障害を持つ者は概して、他の人びととの関係構築や、

コミュニケーションを図るのが不器用である(※3)、とされる “

 

(※2・・・ アスペルガー型発達障害に付きましては、後に触れます)

 

(※3・・・ “知能的な発育の問題”の意味とは、限りません)

 

— と、なります。

 

筆者の実体験では、「発達障害」の輪郭が見え始め、

発達障害こそが、自分を苦悩させ続けた、正体である、

と、認識できめます迄は、未熟だった身には辛酸でした。

 

正体が見えて来ます迄は、

発達障害には本当に苦しめられ…

 

筆者が学校生徒でした頃— 年号が平成になる前、

取り分け、旧時代の気風が濃く残って居りました、

地方の田舎町で、

 

【自分の人格を認めて貰えない事】

 

を始めとした閉塞感に、苛まれ続けたのです。

 

「好き」の対義語は、「嫌い」でしょうが、

反対語となりますと、それは、

 

【(存在を)否定する】や、

【無関心である】

 

事になるかと存じます。

 

これは、そうされる立場からしますと、

実際の話、相当にキツいものです。

 

先述しました、専門家の各位に依られます、

発達障害を分析された内容を、再び交えます。

 

“発達障害の特徴は、「病的症状」として現れるが、

その他方で、中には発達障害者に併存して居る、

「秀でた才能」が発露して居る場合も少なく無い。

(2024.05 追記 / = アスペルガー症候群)

 

だが、周囲の人びとの眼には、

 

「何とも不均衡(アンバランズ)に映る(※4)」

 

様子は、なかなか理解され難い処で、発達障害者たちの、

才能の芽が伸び難く、社会的に認められづらい要因である“

 

(※4・・・ 筆者も過去、学校教師など、他者の評価で、

頻繁にこう指摘されましたが、うち1名、発達障害研究、

及び重度発達障害者ケアの専門職である官吏からは、

 

「貴男(= 筆者)の発達障害のタイプだが、

発言されるレベルは、まるで大学の助教授であるが、

それに比べ、実際の作業が期待外れに見られてしまう」

 

と、ズシンと重たい乍らも、鋭い分析をされました)

 

発達障害者を取り巻く環境、殊に、年少である、
発達障害に現れる「健常とは異なる点」を、誰よりも、
おとな達が理解する事が、突出して重要と感じられます。

 

而(しか)して発達障害者が、人格的な自立が出来るために、

周囲者の「適切な補助(サポート)」こそが、求められるのです。

 

のですが… 然し、筆者の過去には、

それは望むべくも無かった事でした。

 

それこそ、

 

【非常に自分勝手(現:自己チュー)】

【とにかく、変わったヤツ】

 

と言わ続け、敬遠されっ放しの、

まさに“夜明け前”だったのです。

 

【踏まれ過去】は“麦踏み”だったか – 発達障害からブログに覚醒

 

さて繰り返しますが、発達障害は生まれ持った、

脳の作(はたら)きの問題であり、かなり以前では、

世論でも誤って叫ばれて居りました、

 

【間違った家庭での躾(しつけ)が原因!】

ですとか、

【いや、学校教育が成っとらん!】

 

と言うのは、実は“話が違った”訳です。

 

さて、その発達障害、人に依りまして障害の程度、

年齢を考慮に入れての発育段階、生活環境の履歴、

等など、タイプだけで無く多種多様な表れかたをします。

 

ここで筆者の場合ですが、小学生低学年の時分は、

“針時計での時間の読みかた”とかの基本的な事柄が、

殆んど訳が解らず、出来なくて、両親は当時を回想して、

 

「お前を、特殊学級に入れて貰おうかと思った」

「学校の先生に時計の事を言われて、泣いたよ」

 

と言って居たのを、筆者は憶えて居ります。

 

そんな事も有りましてか、確証もおぼつか無いまま、

筆者は「自閉症(自閉症スペクトラム※6)」の疑いが、

半ば面白おかしいゴシップ的に言われた時期も在りました。

 

(※5・・・ ご興味がお有りの方は各位、検索なさってください)

 

しかしそれは、満更の外れでも無かった様です。

 

筆者に最も該当する、発達障害のタイプ名は、

 

『アスペルガー症候群』—

 

ここでまた、外部の内容を交えます。

 

“アスペルガー症候群は、コミュニケーション能力や、

対人関係、社会性の障害であり、行動が恒常化(パターン化)

して居る事、また、興味や関心の偏(かたよ)りが見られる。

 

アスペルガー症候群も、広義の自閉症と分類される事が有る。

 

但し、アスペルガーには、「幼児期の言葉遅れ」

が見られ無いと言う相違点で、決定的に区別される。

この理由で、発達障害に罹って居る事が判り難い。

 

また、成長に従って、障害者本人の不器用さが目立つ“

(末行のこの箇所は特に、筆者には恐ろしく該当します。

 

「不器用」という文言が出ましたが、これは所謂、

 

「KY(場の空気が読めない)」

 

とかの事も含まれ、やはり筆者にも心当たりが有ります)

 

ただ、誠に幸いな事でしたが筆者も、

五十路(いそじ)辺りになりました頃に、

 

「生き直せるかも知れない、『ターニング・ポイント』」

 

が巡って来たのです。

 

—生活の中で、キーワード「発達障害」に、

出くわす機会が、昔と違って断然に増え、

 

「もしかしたら… 自分は発達障害者なのかも?」

 

と疑い始めて、矢も立ても堪らず、

早速に神経内科を受診した事—

 

今、想いますと、それが大正解でした。

 

加えまして、天啓だったのでしょうか、

丁度、殆んど同じ頃合いで、

 

「退職年齢も遠くないし、副業になれば…」

「自分は、母からの遺伝で“書き魔”… 文章…ブログ?」

 

「そうだ… やろう、ブログ!」

 

と、「独自ブログ」の実践を思い立ったのです。

 

筆者は、学校時代を通しましてずっと、

国語科の成績だけは、何故か文字通り“ズバ抜け”、

教諭がたに認められ続けた事も、髪膚の材料でしたね。

 

ほんの僅かと雖も、発達障害に、

早いうちに気付けたのは良かったです。

 

発達障害「アスペルガー」を逆手に取る – “症状”だけでは無い

 

「自分が、他人と違う」

 

—思えばそれは至極、当たり前の事ですし、

この事を自覚できた瞬間が、大収穫なのです。

 

「ブログ道」

 

に燃え、必ず、成果が出る迄、書き続けると、

固く決意しました筆者に、光明が射しました。

 

【お前は自分勝手なくせに、だらしが無い】

だの、

【甘ったれのお前は、独りでは何も出来やしない】

 

それだけでは無く、時計も読めない子どもだった、

この筆者が、遂に過去の呪縛から抜け始めました。

 

では、筆者はどうやって 自分の天職を知り、

目覚ましい成長を遂げられたのでしょうか?

 

それは、

 

「一般の人びとが簡単に熟(こな)せる事が出来ず、自信喪失」

 

という事実(命題)の、

 

『逆もまた真』

 

が、在った訳です。

 

独自ブログを実行する事は、仕事としては、

ごく個人単位の、小規模なものと申せます。

 

ブログは、ブログ開設時も、

ブログの執筆に於きましても、また、

ブログ全体を継続する事も、それ等の全てが、

 

「個人の段取り(ペース配分)で出来る」

 

と言う利点がございます。

 

ブログの基礎段階でこの様に、

 

「(人間関係等で)煩わされる恐れが、かなり少ない」

 

という点は先ず、アスペルガーの筆者には嬉しかったです。

 

或る意味、時間の流れを、殊更には気にせず、

自分の「フロー(※7)」で取り組めるのですから。

 

(※7・・・ ハンガリーの心理学者で在られた、

ミハイ・チクセントミハイ(1934~2021)氏の理論)

 

また、ブログを始めましてから1年強で、

筆者との相性が最高、と思えるメンター(お師匠)

の方との出遭いで、ブログ構築が加速する事になりました。

 

筆者の場合は独自ブログでしたが、この様に、

 

「何か、自分に本当に適合する事は、

やり続けたり、或いは考え続ける事に依って、

その継続や成果に必要なものを、引き寄せ得る(※8)」

 

という仮説が、まさしそうである事を、実感できたのです。

 

(※8・・・ 教育家・原田 隆史 氏も提唱の理論)

 

ここで、

 

「自分の役割を発見し、そのためのスキルを磨く」

それと同時に、

「援助者(メンター)の存在で、必要に応じて指導を受ける」

 

と言う構図が出来て居ます。

 

こうなりましたら、それは、しめた物です!

 

あとはモチベーション継続が課題ですが、

筆者の場合は、

 

「ブログ記事等、コンテンツの文章を書き続ける」

(「そして、メンター先生の添削を受け続ける」)

 

と言う、

 

「ブログで、へこたれない『才能(※9)』」

 

が備わって居りましたのも、幸いでした。

 

(※9・・・ 有名なブログ家の マナブ 氏は、

この才能として、物凄いものをお持ちです)

 

「そんな才能なんて、真似しようが無いじゃん!」

 

—あなたは思われたかも知れません。

 

では次に、そのヒントとなる文を綴らせて頂きます。

 

あなたが、

 

「初めて取り組んだブログだけど、

何か妙に、ブログ文の筆が進む」

 

と言うケースに当て嵌まられる方でしたら—

 

おめでとうございます。

 

何故なら、それはあなたの、「才能探し」、

その旅路の先に、

 

『ブログで成功される』

 

という未来が、既に待ち受け始めたからです。

 

ブログに関する事だけで無く、

それが「才能」なのかどうか、の判断には、

次に挙げます様な、“根拠”の事項がございます。

 

・初挑戦であるのに上手く進む

・早く吸収できる

・より高い水準へも早く進める

・スムーズに/華麗に実行できる

 

— あなたも是非、あなたに取られましての、

「ブログ」が、この様な物であるか、考えられてください。

 

筆者が1つ、念のため申しあげたい事ですが、

ブログが必ずしも、特に始められた初期のうちは、

 

「ブログをやってて、ただただ楽しい」

「ブログには、無我夢中で没頭できる」

 

とは、【必ずしも限らない】と言うことです。

 

よろしいでしょうか、

「向いて居て、鍛えれば伸びる」事と、

(単に)「楽しいものである」事は、本質が違います。

 

筆者もそうだったのですけれども、

あなたにも、ブログの才能がお有り、と、

判られましたならば、

 

「最初は、収益を考えずに」

 

取り組まれる事です。

 

例えば、無償と分かって居られましても、
ブログ文ご執筆の能力を、向上させる事、
それに結び付くのでしたら、喜んでお引き受けになる—

 

その位でもよろしいかと、筆者は存じます。

 

“取り敢えず、やってみよ!”とは、

月並みな文言ですが、筆者の場合、

 

「ブログという目的のために、

鬼気迫って、むしゃぶり付け!」

 

と、“厳しく”申しあげます。

 

この節のおしまいに、筆者も “水を得ました”、

アスペルガー症候群タイプの発達障害者が、

“逆手に取れる”障害の特性を絡めまして、

ブログ作業に於ける利点を、列記致します。

 

これ等はみな、独自ブログに対峙されましても、

不得手な意識を持たれずに臨める、要点です。

 

-ブログ作業は自分の中で完結できる仕事である

–  ブログ作業には予期せぬ変更は起こり難い

–  ブログ作業は何かとの同時進行を強制されない

–  ブログ作業は誰にも「不要に気を遣う」必要は無い

 

まとめ

 

今、おとなの方がたの発達障害が、

“増加”して居る様に、言われて居ります。

 

が、これは正確には、

 

「表面化」

 

なのでは無いかと、筆者は感じます。

 

人びとの大半は、発達障害者に対して、

叱責や、時に冷遇を、与える事も多いです。

 

それで、摘まれてしまうかも知れない、

 

「ブログ才能の芽」—

 

大変に、勿体無い事だとは思われないでしょうか?

 

発達障害障→いじめや虐待→

心的外傷後ストレス障害(PTSD)や精神疾患…

 

【地獄の多重スパイラル】

 

の問題を今だにを抱える、多くの発達障害者。

 

ですが、その中に、素晴らしいブログを生み出せる、

“原石”が隠され、それは、あなたかも知れないのです。

 

ブログ開始から、人生の大逆転へ—

となりますかどうかは、あなたや筆者を含め、

先天的に備わって居ります、

 

「1%の資質」

と、

「残りを埋める99%の継続」

 

だと存じます。

 

本記事の内容で、あなたご自身に当て嵌まる—

 

そんなお心当たりの場合は、すぐに、

専門の方に「自己申告」をされてください。

 

筆者はあなたに、“単なるライター”では無く、

ご自身の独自ブログの読者様に、

 

「お寄り添いして差し上げる『お気持ち』」

 

が伝わる文章を、お書きになって頂きたいのです。

 

そして、ブログ文に「魂」の込もられた、

稼ぎ手さんに是非、成長されてください!